がんばらない

電脳硬化症気味な日記です。まとまった情報は wiki にあります。

1996.3.3 (Sunday)

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本当の賢さというもの   [散文・小論]

 人は、どうしてもっと自然に生きられないのだろう。「自然と共に生きる」のではなく、「自然に対して従順に生きる」ことが、人の自然な生き方ではないか。
 人間というのは本来、自然から派生し、それに従属し続けるものであるはずである。英知を持ち、それを美徳としたが故に、あたかも自分の力で地球を支配したかのような錯覚と、それに伴う傲慢を抱き、自分達人間を、自然と同じ高みに並列して位置付けようとしている。
 だから、自然を敵とみなして、打ちのめす人間がいるのだ。
 僕が「ガンダム」や「ナウシカ」等から学んだのは、”賢い人というのは、物事について、多くを感じることのできる人なのではないか”ということだ。これは、「賢い」という言葉の定義に合わないかもしれないが、他にいい言葉もない。
 人ももっと様々なことを感じ、洞察できるようにならなければならない。人は知恵を持ったが、その途端に愚かになった。感覚を信じなくなったのだ。このままでは、その内、鉄の心を持った人間がこの世を滅するだろう。

 自然や地球は、人間にとって、親であり、支えであり、また自身の命でもある。それを守るために、人はもっと「賢く」ならなければならない。痛みを感じ、それを和らげようとする、やさしい心を持たねばならない。
 痛みを感じていても、つまり、例えば自然破壊によって、地球環境が激変していることを知っていても、その痛みを和らげようとしない人は、破滅願望があるに違いない。人類に対し、自分に対して、ひどく絶望し、信用していないのだろう。自分を、ひいては人類を信じることができれば、人類の意志を一つにすることができれば、地球を救うことなど造作もないことなのだ。
 そして、その心こそ「愛」であり「仁」ではないか。
 募金活動で「Love save the earth」という言葉があるが、その様な活動で集めているものこそ、上述した”信じる心”であり、現実の力となって表れるのが、募金に協力するという行動である。あれは本来、商業活動ではないのだ。

 ”信じる心”を持ったアムロ・レイやナウシカ、人を信用できないシャア・アズナブル、あるいは、まだ迷いの中にあるユパ・ミラルダ。
 あなたを、物語の登場人物にたとえるなら、あなたは誰ですか。

   人は、何事にも心から怒ってはならない。

   人は、何事にも恐怖してはならない。

   人は、自分を信じ、愛さなくてはならない。


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