がんばらない

電脳硬化症気味な日記です。まとまった情報は wiki にあります。

1995.3.3 (Friday)

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機動戦士ガンダム   [散文・小論]

 「機動戦士ガンダム」は、一人の少年が新しい人類の礎として成長する過程を描いた、変革の物語である。
 少年の名は、アムロ・レイ。
 機械好きで、ひねくれ気味で、かつ純真な少年は、全く偶然に地球連邦軍の極秘資料、つまりモビルスーツ・ガンダムのマニュアルを手に入れ、家族を殺された哀れなガールフレンド、フラウ・ボウを見て、戦う事を決意したのである。
 とはいえ、何も知らない子供が突然、最新兵器に乗っても、うまくいくわけがない。しかし、自分の命を守るために「死にたくない」という一心で、彼は数々の難局をクリアし、一人前の戦士へと成長していくのだった。だから、ジオン軍のエース、シャア・アズナブルと渡り合う事もできた。

 しかしこの少年は、優秀な軍人になるだけでは留まらなかった。その変化の確かな兆しが見えたのは、彼の初恋の相手、マチルダ・アジャンが死んだ時であった。アムロは敵と激しく交戦しながらも、マチルダの最期を見届けていた。視覚ではなく、感覚で。
 もっとも連邦軍は、それ以前からこの少年兵を「New Type」として認識し始めていた。後に、レビル将軍はNew Typeについて、「認識力と洞察力に優れた人々だと考えている」と言った。

 New Typeとは何だろうか。
 人類は、地球の周りに数百のスペースコロニー(宇宙植民地)を浮かべ、増えすぎた人口を移民させた。ジオン・ダイクンという人物がこの宇宙移民者=スペースノイドの自治権を要求し、地球連邦から脱しようという運動をはじめた。その時に初めてNew Typeという言葉が現れている。ジオンは、宇宙に出た人々の革新を信じていた。類人猿が猿人へ、そして現在の人類へと進化を遂げたように、人類は宇宙に出てまた一歩進化すると考えたのである。そしてその新しいヒトこそがNew Typeなのである。

 New Typeは争いのない世界を創造できる、とダイクンは言った。戦いに疲れた人々は、New Typeの出現に望みを託し、そしてシャアやアムロなど、New Typeなのでは?と思われる者が現れた。あるいは、現れて欲しいという人々の願望がそう思わせたのかもしれない。しかし折りしも、時代は戦争の只中であった。彼らNew Typeの能力は戦争の道具として使われた。皮肉にもその能力は、戦争において非常な効力を発揮してしまった。「New Type能力が戦争に役立つ」ということを、軍隊に、あるいは人々にわからせてはならなかったのである。
 そこに気付いたのがシャアであり、気付かなかったのがアムロである。

 「将来、人類を皆New Typeにするためには、現在New Type能力を持つ者をしっかり管理し、Old Typeの人間にNew Type能力を恐れさせてはならない。」シャアはこう考え、New Type能力を周囲に有りのままに示すアムロを殺そうとするのである。
 またシャアは、こうも考えた。「New Typeの先導はNew Typeたる自分がしなければならない。ザビ家にその先鞭をつけさせてはならない。まして、ザビ家は父の仇でもある。」こうして彼は、ザビ家を滅ぼしたのである。
 しかしシャアは、アムロを滅す事も、自分のコントロールできる範囲にいさせる事もできなかった。アムロのNew Type能力は、彼が初めて愛したララァとの出会い、共感、死によって、また大きく進化していたのである。

 このままでは、戦争の道具としての利用価値が非常に高いNew Type能力を持つ者は、人々に危険視され、人類全体がNew Typeになる事などないのではないかと思われた時、アムロは自分の意識の中のララァに導かれ、彼の能力は人の命を救う事に威力を発揮したのである。

 そして、ここで物語は終わっている。この先がどうなったのかは自分で考えるしかない。というより、どうしていくべきなのかを、我々は考えなくてはならないのだろう。

 考えてみれば、この物語の主人公アムロは、悲しみの連続の中で成長していっている。彼だけではない。シャア、ララァ、セイラ、ミライなど、New Typeの素質を持つ者は皆、何らかの悲しみを抱えて生きている人間ばかりだ。幸せな者など一人もいない。
 人は悲しみを乗り越えて成長する。否、人には悲しみを乗り越えずして、成長はないのだろうか。

 「F」という六田登原作のコミックの中でも同じようなセリフがあった。「不幸が奴を速くする」というセリフだった。レーサーである主人公は不幸に見舞われ、それを乗り越える度に、レーサーとして大きくなり、速くなっていくのである。

 汝、不幸は主人公の条件ということなかれ!

 僕はいろいろなものから影響を受けて生き方を探しているが、「機動戦士ガンダム」は非常に見ごたえがあった。ずっしりきた。もちろん、物語と現実とを混同させてはならないが、この物語は僕の思想を大きく変えたと思う。

 余談だが、「ガンダム」を見て気に入った人は「イデオン」など、他の冨野喜幸作品を見てみると、作者の考え方が多面化されて、一層おもしろいかもしれない。


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