Last-modified: 2003-12-01 (月) 16:11:56 (7449d)

People

1995/03/13

 今日、兵庫県川西市の下宿先から、生まれ育った故郷、富山県福光町へと帰郷した。15日に手術を控えている祖母とはまだ顔を合わせていないので、少し心配だ。両親とも話したがmedicalな面は医者にまかせて、僕達はmentalな部分を支えていくべきだと思う。

 ところで、帰郷するにあたって、僕は50ccのスクーターで300kmを走破した。昨年の夏休みの時はとても楽だったのに、今回は雨と寒さに崇られてとても疲れた。非常に疲れた。

 途中で小高い丘の上を走ることが度々あったが、ふと見下ろすと、周りの平野には民家がぎっしりと敷き詰められていた。もう数え切れない無数の民家だった。あの場所は人間が占領した土地だ、という気がした。同時に、あの一つ一つの屋根の下にそれぞれの家族が住み、泣いたり笑ったりして日々を過ごしていると考えると、気分がひどくざわついた。すっきりしない気分だった。

 福井県武生の辺りで、何か食べようと近くのドライブインに入ったが、おばあちゃんが一人で営んでいる、茶色い小さな食堂だった。”ドライブイン”なんてカタカナを使うような所じゃない。体を温め、鍋焼きうどんを食べながら、僕は30分ばかり、おばあちゃんの世間話を聞いた。今年東大に受かった孫、失敗して同志社に入った別の孫、芦屋市に住んでいて地震で家から出られなくなった友人のこと、亡くなったおじいさんのこと、”私”の食器を洗ってくれない嫁のこと、北海道の人が京風味付けのうどんを食べて、文句をいったこと、etc。

 近くにスーパーも電気屋も人けすらもない山の中にポツンと住んでいるおばあちゃんにも、係わりのある人間は大勢いた。数えきれないほど。つまり、僕はそこで”人は繋がり合って生きている”ことを初めて実感した。人は、自分だけでは、自分であり得ないのである。世界に住む全ての人々の持つ、自分と係わる部分の集まりがあってこそ、自分なのである。

 世界にうじゃうじゃいる無数の人間が、それぞれ、世界の無数の人々と繋がって生きていることになる。

 あなたは、情報ハイウェーの繋がりを示した世界地図をTVで見たことはないだろうか。あるいはクモの巣でもいい。世界の人々はそんなものよりももっと緻密に、もっと幅広く、もっと広大に繋がっているのである。
あるいは、人類は一つと考えてもいいかも知れない。そう思った時、僕のごみごみした気分は消えてなくなった。そこらじゅうに散乱して教室を埋めつくした粘土の破片が、一つの球に練り合わされたような気分だった。その球が地球の姿ならば、どんなにかすばらしいのに、と思った。

 漫画「F」の言葉はこうである。”オレは最初からオレだったわけじゃない。生きて動くも、そして死ぬのも、全て係わり合いの中ではじめてオレはオレだったんだ。””オレという人間が最初からいたわけじゃない。父に対するオレ、母に対するオレ、友人やライバル達、恋人に対するオレ。みんなはオレだ。オレそのものなんだ、オレが生きるのも、走るのも、そしていつか死ぬのも、オレのことだしみんなのことなんだ。”

 僕はこの言葉を実感できて、すごくrelaxできた。いや、実際には、言葉の成り立ちが理解できただけかも知れない。

 それでも僕は、幸せです。


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