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Last-modified: 2003-12-01 (月) 16:19:40 (7424d)
My Boyhood1996/10/12
今、「耳をすませば」というアニメ映画を見終って、唐突に少年時代のことを思い出している。その頃好きだった女の子のことや先生達のこと。思えば色々なことがあった。 中学に入って、特に2、3年のときは、僕が思いきり弾(はじ)けた時期だった。強く印象に残っているのは、2年の合唱コンクールのときに、指揮者だった僕は音楽の先生と反発しあって、先生に授業をボイコットさせたことだ。クラスの皆のために後で謝りに行ったのだが、その時になっても僕は自分の非を認めず、悔しくて大泣きしてしまった。そのとき一緒に行ってくれた女の子の隣で、泣きながら体育館の廊下をトボトボ歩いている自分というシーンは今でも覚えている。 あの頃の僕は、ひどく臆病で小心な子供だった。落ち着きだした周りのクラスメートから見ると、より一層子供っぽく見えたのではないだろうか。 うじうじした性格だった僕が初めてその事に気付いたのは、生徒会のことで体育の女の先生にケリをいれられたときだった。痛くはなかったが、その後ひどく考えこんでしまった。先生にとっては何気ないことだったのかもしれないが、あの一撃はとても僕のためになった。いま思えば、僕は幸運な奴だったのかもしれない。 愉快だったのは、2学期の期末テストの前日に仲間と自転車レースをした時の事だ。山道を一生懸命こいでいると、前から見覚えのある自動車がやってきた。「あれタモッチャンのスプリンターや。」タモッチャンというのは技術の先生のあだ名であった。当然、僕達は次の日、職員室に呼ばれて先生達のあきれ笑いを拝むことになった。 最悪の思い出は、確か中一の時だったと思うが、水泳の選手になってしまったときだ。水泳はできない(事実ほとんど泳げなかった)と言っているのに、いつの間にか選手にされて、大会で大恥をかいてしまった。あの時は、先生も神様もグルになって、僕をいじめているんじゃないかと思ったほどだった。思い出したくもない思い出なのに、忘れられない。まあ、僕以外は誰も覚えていないと思うが。 かなり”三枚目”の僕でも、好きになってくれた女の子が何人かいた。しかし、僕はその誰にも、全く気付くことがなかった。本当に、僕は子供だった。ひどい目に会わせた人には本当に悪いことをしたと思っている。あの頃の僕は自分の事しか考えてなかった。 高校に入ってすぐに、中学の時の自分の傍若無人ぶりを自覚した。だから、高校の三年間はその反省だったのか。とても大人しくそれなりに過ごした。しかし、阪大に入った後の僕を考えると、高校時代の僕はどうやら嘘だったとしか思えない。僕は相変わらず傍若無人で、周りのことも考えずに突っ走ってしまうようだ。この性格は功を奏すこともあるが、その逆のほうが圧倒的に多い。しかし、なぜか僕はこんな性格を直そうとは思わないしこんな性格の僕が嫌いではない。 |